【Day5】
世界一はやく陽が昇るイーストケープの日の出をみて感動した僕らは、次のマスにコマを進めた。
次なる街は、ギズボーン!
ギズボーンは、イーストケープとネーピアの間にある街で『サーフィン』や、『ワイン』で有名だ
東海岸に沿って3時間半、190㌔
早起きしたおかげで、昼頃にはギズボーンに到着した
この日は、キャサリンの家に宿泊させてもらう予定だ
キャサリンはシャーロンの妹で、4,5人姉妹の中で最も伝統的な人でマオリ文化を重んじている
この日初めて彼女に会う僕らは、どんな話が聞けるか胸をはずませていた
キャサリンの家に行き、初めましての挨拶をして、とりいそぎ荷物を降ろした。
荷物を降ろし終わると、キャサリンが食事とビールを用意してくれていたので
巨大トランポリンのある広い庭で飲みながら会話を楽しんだ
キャサリンの家庭を簡単に説明すると家には、キャサリン、旦那さん、二人の子(一人は赤ちゃんでめちゃくちゃかわいい)と、小学生の姪っ子が暮らしている
姪っ子がそこに暮らしている理由こそ忘れてしまったが、彼女達は大家族の親族間で何人かの子たちがこのように、叔父や叔母の家に暮らし、そこから学校へ通ったりしている、また親戚間のお泊りも多い
以前、【Day2~3|ロトルアお役立ち情報情報編】で書いたように、彼女たちの先祖はマオリ族の伝統的な族長だった。
ニュージーランド北島のあちらこちらに親戚がいて、北はファンガレイから、南はギズボーンまであらゆるところにいる。
またこの日、ギズボーン市内に住むキャサリンの友人が遊びにきていた
彼はウェブデザイナーで、名刺や鍵など印刷や関係も営む一人社長ということだった
彼からのオファーがあり、翌日は泊めてもらうことになった。
と、ここでキャサリンから聞いた沢山の話の中で印象的だったマオリ族の話をまとめてみようと思う
【NZにおけるマオリ文化と言語について】
彼女の活動は、マオリ文化を絶やさないように正しく後の世代に継承すること
子供たちにマオリ語を教えたりもしている。
そして、今では失われつつあるマオリ語だが、
かつては、皆がマオリ語を話した。
しかし西洋人がニュージーランドへ来てから、マオリ語が禁止され、英語が第一言語となった。
マオリの言葉や文化の衰退は複雑だが、ここではわかりやすくまとめてみた
様々な民族が暮らすNZだが、全ての子供達は英語で授業を受けなければならない状況となった。
子供達は授業中も遊ぶ時も英語を話すことを強制された。
さらには言えば、多くの学校でマオリ語を話した子供達には処罰が行われた。
例えばマオリ語しか話せない小学一年生が入学してきたとします。
もちろん教師のいう事が理解できない。
だって英語話せないんですもん。
マオリの生徒はクラスメイトや学校の友達に理解すべくマオリ語で相談を求めましたが、その行為により彼らは処罰されました。
当時、まるでマオリ語自体が犯罪かのように扱われたのです
この時代、彼らがととても恐ろしい経験をしたことに疑いはありません
そして彼らが大人になるとき、彼らは別の深い悩みをかかえていました。
それは、子供を持つべきかどうかの問題でした。
なぜならあなたが親なら子供に同じ恐ろしい経験をさせたくないでしょう
また、これは言語だけの問題ではありませんでした
かつてマオリの人達は、自給自足の生活を行っていましたが、西洋人がNZを支配して以来、マオリ族の彼らは多くの土地を失いました
そうすることで、新たに作られた社会に順応しなければならなかったのです
自給自足が不可能となり、お金のために働かなくてはならなくなりました
それは、生きるため、食べるためです
働くには英語が必要な社会となっていたので、彼らは生き残るために英語を学ぶほかなかったのです・・・
【世界の言語について】
世界中のユニークな言語が異常な速さで私達の住むこの地球から姿を消しています
21世紀の初め、世界には日本語も含め6000ほどの言語が存在したと言われています。
しかし予想では今世紀の終わりには、約200言語ほどが話されているだろうと予測されています
言語の消滅速度のイメージとしては、2週間に一つ、世界から言語が消滅している計算になります
言語が少ないことは一方で、いいことかもしれません。
なぜなら1言語に対する会話相手が多くなると考えられるからです
しかし逆の一方で悲しい現実は、多くの民族が、ユニークなアイデンティティを失うという事。
生まれ育った地でかつて使われていたコミュニケーションは歴史とともに消えてなくなるのです。
文化と同じように、言語は民族性と直結していると考えられます。
なので、インターネットの普及によるグローバル化もそうですが、互いの民族性を理解できる機会が増えると同時に、個性が薄れていくような気がしてなりません
現在、100%マオリの血を受け継いでいる人は、限りなく少数だといわれています
こうして、多くのマオリの方々の優しさを受けてきた私としては、この民族の文化がこの先絶えることなく継承されていくことを望む次第です・・・
【Day6】
ギズボーン2日目、
この日は友人ノブと合流。といっても個人的にあったのははじめてだった
昔、彼は僕が20歳頃まで生まれ育った地元・神奈川県は湯河原(温泉とみかんが有名な、海・山・川などの自然イ恵まれた美しい町)に住んでいた
歳は3つ違うが、小さな田舎町なので名前と顔ぐらいは知っていた。
今回あったのは、地元の仲間と、僕の妹からの連絡が理由だった
ノブは僕の仲間とはサーファー仲間で、妹とは歳が一つ離れた友人関係だった
『ノブ(君)がNZにいるから会いなよ、遊びなよ』といういきそつだった
当時、僕からすれば、ニュージーランドっていってもそんなお互いに近いわけじゃないだろうし・・
と思いつつ、この旅が始まる前に連絡をとってみたら
「ギズボーンにいます!」
旅5日目の目的地だった(笑)
僕ら3人+ノブで、マオリ社長の家に泊めてもらった
ここで僕らは面白い体験をさせてもらった。
これを書く前に簡単にマオリ社長について書こうと思う。
マオリ社長は話好きで自慢が好きだった。
僕らは初めの二時間ずっと彼の話を聞いていた。
単純に彼が話を延々続けたからだった。
もちろん初対面の人の話を聞くのはおもしろい。
その人がどんな生い立ちで、何に関心が深くって、どんな人生を送っているかなど、、、
でも、皆に限界がきた・・
単純に話を聞きつかれたのだった(笑)
今夜はこのまま終わるのだろうか・・と思っていたところで、マオリ社長が
「よし、外で呑むぞ!」
はい、待ってましたー!小さな至福の瞬間だった
僕らはマオリ社長の庭で、大きな火を焚いて、マオリ社長の友人たちも含め10人ほどで火を囲んで呑んだ
さっきまでの時間が嘘だったかのようにみんな楽しく飲んで語らいだ
しばらくすると、マオリ社長が何やら不思議なものをガレージから持ち出してきた
『大量な羊のしっぽ』だった
その大量のしっぽは、火の中に放り込まれた
20分~30分したころ
『ほら、皮剥いで食べてみ?』
けむくじゃらのしっぽをギュッと握りながら先端のほうへスライドすると皮がすっぽり抜けて軟骨が現れた
羊のしっぽなんて初体験だった僕ら全員は、おそるおそる食べてみた
この時、ベトナムを旅していたころを思い出した。
ベトナムの中でも中国国境にほど近い、「thanhkim」というSAPAから少し離れた村で、ある民族の方の家に泊まらせてもらっていた
そこで、僕は主人が鴨の首を生きたまま切り落とすところを目の当たりにした・・
そしてその鴨はもちろん、晩飯のおかずになるというので、僕は全身に鳥肌を立てながら皮を剥ぐの手伝わせてもらった。
つまり何が言いたいかというと命を頂くからには感謝しないといけないと思うのだ
そして、感謝して羊のしっぽをいただいた、
美味しくなかった(笑)
ファビアンはベジタリアンだが経験として食べていた
そして、けいこちゃんは僕らの中で唯一、気に入ったようだった・・・
翌朝、おもしろい経験をさせてくれたマオリ社長、もてなしてくれたキャサリン、そして友人ノブに別れをつげ、ギズボーンを後にしたのだった