壊れた自転車の旅 in オーストラリアを読む前に
この記事は、壊れた自転車と共に旅をした記録や様子を伝える記事です。
まともな自転車の旅について調べている方には、もしかすると無用かもしれません。(でも壊れた自転車の旅って何かなと興味ある方は是非読んでみてください、大歓迎!)
壊れた自転車の旅 in オーストラリア 出発前
(壊れた)自転車の旅をやることにした理由
ビクトリア州の田舎、ミルドゥーラでホステル×ファーム生活をしていた僕は挑戦に飢えていた。日本への一時帰国が決まっていて、メルボルンから日本へのフライトは約10日後に控えていた。
ファームの繁忙期も終わっていて、毎日ホステルの友達と呑んでは寝て、寝ては呑んでを繰り返していた日々、突然インスピレーションがやってきた。
540キロメートル離れたメルボルンまで歩いてみたい!真っ赤な大地をただただ歩いてみたい!そんなことをやるには最高のタイミングだった。
旅の詩集
歩いてみたかったのに、なぜ壊れた自転車の旅となった??
やるぞ!と決意したばかりの僕はワクワク興奮していた。
とまではよかったのだが、友人に言われよく考えてみた、、。
メルボルン発フライトまで7日間、、、ミルドゥーラからメルボルンまでは540キロメートル、、。
◎ 自転車 90㎞/日 × 6日 = 540㎞
× 徒歩 30㎞/日 × 18日 = 540㎞
徒歩の旅は物理的に不可能だった。
ホステルの仲間に
「お前アホか、せめて自転車でやりなよ。」
言ってくれてとても感謝している(笑)
いつも情熱が先走ってどこか冷静さが欠けることも少なくない。
なんせミルドゥーラとメルボルンの間には街というものがほぼなく、食事の調達も出来なければ水道もないのだから、、。
準備したもの
・自転車とヘルメット Kマートで合わせて80ドル
・テント 同じくKマートで50ドル
・自転車につけるライト ホステルの友達から譲り受ける
・雨天時のバックパックカバー 同じく友達から寄付
・レインコート 〃
・水7リットル 給水できるチャンスは数十㌔ごとにある小さな町でのみ
・食パン 食パン1斤 失敗、3日までカビが生え始める、、。
・チョコレート チョコは好きではないが、コンパクトでカロリーがとれる
・ヌテラ 簡単でパンにぬるだけ、味も濃くて美味しい
無帰国で世界一周を計画していたため、その他相当な荷物あり(笑)
壊れた自転車の旅 in オーストラリア いざ出発
残念なことに出発当日は天気に恵まれなかった。
ミルドゥーラを昼頃出発、この時は5月末で日没は17時前だった。
オーストラリアでは野宿が禁止されていて罰金もある。とりあえず初日なのでうまく身を隠せる場所を探してこれからの旅の要領をつかみたい。
壊れた自転車旅に変わる瞬間
ひたすら道路A79を走っていくのだが、ここで問題が起きる、、。
まさかのパンク!!!
まだ30分も走っていないが、、、90㎏(体重65㎏+荷物25㎏)にさすがに相棒が悲鳴をあげてくたばった、、。
さて、どうする???
浅はかに自転車の旅を始めた僕はリペアの道具など持っているはずもない、、。
ここから、壊れた自転車の旅が始まる。
パンクした相棒を押しながら、ひたすら寝床が見つかるまで歩く、、。と、数時間歩いていると
「おーい、タツーーーー!!!」
歩く先に一台の車が止まった、、。
降りてきたのはミルドゥーラで出会った仲良しの友人ルカとマルコ
「Hey man, you forgot your passport!! how are you suppoded to take your flight without this?(おい、パスポート忘れてるぞパスポート!どうやって飛行機乗るつもりなんだよ(笑))」
うわー、まさかまた会えてうれしいよ!というかパスポート持ってきてくれてありがとう、これ持ってきてくれなかったら一体どうなってたんだ(笑)
ルカとマルコと僕
もらいもののレインコートやカバー、見事に色がバラバラ(笑)
キャンプ初夜
キャンプといっても、身を隠す森を見つけてテントを張っては、ヌテラをパンにぬって食してはただただ寝るだけ。(携帯の電波も届かない)
この日は、結局出発地点から15㎞程度離れたレッドクリフ付近で夜を過ごした、、。
2日目
壊れた相棒といけるところまで旅をしようと心を決め直した。
日照時間は11時間程度、夜は真っ暗でやることもないので21時ごろには就寝していたので、朝は6時ごろから歩き始めた。
結果として数日間壊れた相棒と歩き続けたA79の道は終始こんな景色だった。
数時間ただただ歩いては休憩して、チョコをかじっては水を飲みタバコを巻く。
歩きながらやることと言えば、歌をうたう、写真を撮ることぐらいだった・・・
Milduraから50㌔ほど来たところだが、先は長いが、、シャワーを浴びたい(笑)
荷物を少しでも減らすため、着替えついでにTシャツとさようなら
先は長い、、、
スイカを食べている羊がみれるのはオーストラリアぐらいではないだろうか??
忍び寄る影
あの夜、テント内でトーチを使ってノートに旅詩をとどめていた。
すると何やら足音と人声らしきものがきこえ、何事かと少し警戒していた、、。足音が近づいてくるのを感じるのもつかの間、テントのドアが何者かによって開かれた、ヴィィ?
「HeeeyTatsuuuuu!!!! サプラーーーイズ!」
その瞬間,僕の緊張は大きな驚きと喜びに変わった。
なんと目の前に現れたのはホステルで仲のよかったルカとマルコ、そしてイレーニャとゆりちゃん!
どうやってここを見つけられたのかは本当に今でも不思議だが、70㌔ほど離れたこんなところまで来てくれたのはすさまじく嬉しかった。いい友達を持ったなと感動した一夜だった。
3日目
ここまでで壊れた相棒と歩いた距離は、およそ70㎞。飛行機出発まであと5日、メルボルンまで470㎞、、。
このまま歩き続けても飛行機には間に合わないことは明白だったが、ギリギリまでこの挑戦を続けたいという気持ちは変わらなかった、、。
そして時々、パンクして相棒に負担もかけた(笑)
Milduraから75㎞地点
世界各都市までの距離が記されている、距離インジケーター
看板を見つけるとOuyenまで歩くことに決めた。
メルボルンまでは程遠いがもう時間がない、ヒッチハイクをすることに決めた!
壊れた相棒との別れ、ヒッチハイク
Ouyenに到着した僕は、壊れた相棒に別れを告げ、メルボルンまでの残り440㎞はヒッチハイクをすることにした。この時点で飛行機まで4日、、。
ありがとう!
大通りで車を捕まえようとするも、夕暮れ時でなかなか止まらない。それにもう4日近くシャワーも浴びていないのでマジで臭い(ホームレスのにおい)
こんなに臭くて、乗せてくれる人など見つかるだろうか、、。
待つこと90分、老夫婦が止まってくれて行き先を尋ねると、、
メルボルン!!!
距離も長かったので何度か乗換を覚悟してたけど、まさかの一発ホームラン!!
車に乗り込んで少し会話を交わすと、安心したのかここまでの疲れをグッと感じた、、。
「長い道のりを歩いたんだから疲れているに決まってるよ、気を遣わずに寝るといい。」
なんとも優しいお言葉に僕は甘えて仮眠をとることにした。
「ほれ、ついたよ」
あれ?完全に爆睡してしまった、気付けば5時間が経っていて、そこはメルボルンだった。
最初から最後まで寝てしまってなんだか申し訳ない気持ちとお礼を伝え、親切な老夫婦に別れを告げた。
こうして、僕の思い付きで始まった540㎞(壊れた)自転車の旅は幕を閉じた。
まとめとして
(壊れた)自転車の旅をやるとなってから1週間後、僕は無事にメルボルンで飛行機を待っていた。
そしてどこの国にいても日本人だと感じる瞬間。
4日間の食パンとチョコと水で乗り越えてきたお腹が求めたのはラーメンだった(笑)
人生で一番うまいラーメンだったのは言うまでもない。
おしまい